スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

備忘録

  • 2006/04/18(火) 00:12:01

今月下旬にこんなん出るらしいよ!


週刊 日本の100人 DeAGOSTINI16 明智光秀
~仏の嘘を方便といい、武士の嘘を武略という~
http://www.de-club.net/nhy/issue.php?pos=1&Issue=014


うひょー買わなきゃ!


光秀公の最期と言えば一般的には信長様の度重なる暴行にブチ切れて本能寺を主君ごと燃したあと山崎でヒデキチに負けて逃走中に土民に竹槍で突かれてあぼんと思われがちなようですが、実際はかなり信長様に気にいられてたみたいですね。


…と後半だらだらと信長様に気にいられた根拠を書いてみましたが、書き上げてみたら何ともキモい出来に仕上がってしまいました。
キモくてもいい。逞しく育って欲しいという意味不明な剛の者のみ続きを見てみてくださいw

以下、うろおぼえ・聞きかじり・未確認と三重苦揃った知識で恐縮ですが
曰く


  • 信長様から最初にお城をもらったらしい(諸説あり)
    なんか、最初に城持ち大名になったのは光秀公らしいです。まあヒデキチとかとほぼ同時期団子状態だろうけどね。
    因みに坂本のお城は安土のプロトタイプだったとか何とか。

  • 信長様自信が少ない兵を率いて命がけで救援したのはこの人だけらしい
    天王寺砦に立てこもっていた光秀公を始めとした諸将が某家臣がポカやらかしてうっかり1万5千人の一向一揆勢に囲まれて死にかけたとき、信長様は自ら3000(2000?)の手勢を率いて救援に向かったそうです。
    このとき信長様御自ら足軽に混じって真っ先に大群に切り込んでいき、その時流れ弾に当たって足に鉄砲傷を受けたとか。うはwwww信長様必死すぎwwww
    因みに信長様が先陣を切ったのは桶狭間の戦、刀根坂の戦(一乗谷攻)、天王寺砦救援の3つだけ。
    いや、光秀公だけを助けようとしたわけじゃないけど、砦立てこもり組の中では筆頭だったろうしとりあえず愛されてるよねえ。いや変な意味でなく。

  • 晩年になって病で死にかけたとき、信長様自ら病気見舞いに行ったらしい?
    実際には自ら赴いたわけではなく見舞いの使いを坂本の城に寄越したと言うことらしいけど、なんつうか自称大六天魔王とは思えない気配りぶりですw


この話、信長の野望将星録辞典の明智光秀の項にて知ったんだけど、これを読んだ当時はまったく信じていませんでした。工工エエェェ(´д`)ェェエエ工工これ誰の妄想よ?みたいな。
後にインターネットでいろいろ情報が入るようになり、歴史の知識もちっとずつ増えていくようになって上記に書いてあるようなことが(事の真偽は別として)実際記録に残っていた知ってちとびっくりしました。


とりあえず、信長様は随分と光秀公のこと大事にしていた模様。
そんな相手に謀反起こされてあぼんなんて世の中分からないというか、そんな一方通行ぶりがちょっとかわいそうで何とも萌えです。
一般的認知からすると意外な話と言うことで今回はこの辺で。

関連記事
スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。